石川が今のコンサルタントになるまでの軌跡

さっそく自己紹介をさせていただきます。2002年に日本の大学に在籍している時、中学生の頃から本格的に取り組んでいたテニスを辞めて、ニュージーランドに英語の勉強をしにいこうと決めました。要するに留学なのですが、実際のところぼくの当時の英語力はとても低かったので、大学からの交換留学で僕は行くことが出来ず、大学の制度を使わないでニュージーランドに来て勉強をしました。

あの時は本当に必死でした。朝から晩まで出来るぐらい好きだったテニスが全然面白くなくなってしまって、と言ったら誤解があるんですけど、テニス自体が面白くなくなったというか、テニスをしている環境からとにかく逃げ出したいという気持ちが強くなり、そのタイミングで前からの持病である腰もかなり痛くなり、「その場から逃げ出した」いうのが本当のストーリーです。

ただ、「逃げ出したは良いけどこれからどうする?」と思って、今までテニス一筋でやってた僕には何も取り柄がありませんでした。そして「これはまずい」と焦って、とりあえず「英語はこれから必要でしょ!」と思い、とても短絡的な考えでしたが留学をしようと思ったわけです。

その留学時にたまたま今の奥さんと知り合いになって付き合い始め、留学後に一度日本に帰国し大学を卒業後、ニュージーランドへ戻ってきました。

この時すでに奥さんはニュージーランドに永住権を持っていたので、日本に帰国する意志はありませんでした。それなら「僕がニュージーランドに戻ってこない限り付き合いは終わりになる」と思ったのと、「卒業してから海外に出てみるのも面白そうだしいい経験になりそうだし」という想いもあり、日本を離れてニュージーランドで暮らす事を決めました。

大学卒業してから6ヶ月間は、日本で派遣社員と家庭教師の二足のわらじを履きながらお金を貯めて、その後にニュージーランドに戻ってきました。その時は、月に30万円ぐらい稼いでいて「結構すごくね?」と調子に乗っていたのを覚えてます苦笑 「30万円ぐらいで調子に乗んなよ」という感じですが、大学卒業したてほやほやの僕にとっては、「こんな僕でも30万円も稼げてる!」と思えて、それが一応自分への自信に繋がっていました。

ニュージーランドに来てからは、すぐに奥さんを通してパートナーシップカテゴリーを使って永住権を申請しました。1年半ほど掛かりましたが、無事に永住権も取得できて、今はニュージーランドに暮らせています。本当にラッキーだったと今でも思います。他の知り合いは一生懸命永住権を申請するのに必要なポイント貯めなければいけない中、僕は申請書類と必要書類を集めて提出して待つだけだったので、そういう意味での苦労は全くしないで済みました。奥さんには本当に感謝です。

今の会社をはじめる前は「留学カウンセラー」をやっていました。対象は、日本の中学、高校を中退した子供たちが「高校卒業の資格を取って帰国子女として大学に進学したい」という思いで留学してきている生徒たちでした。日本だと中学、高校を一度退学すると、もう一度中学校や高校に復学するのはかなり難しいいので、その問題を解決するためのサービスを勤めていた会社が提供していました。

そこでは4年ほど留学カウンセラーとして働きましたが、ストレスの掛かる環境が辛くて、他の職業を時々探していました。そして次に決めたのが「公認会計士になる」ことでした。決めたら動くまでが結構速くて、辞めてすぐにニュージーランドの大学に入って会計学を勉強し始めたのですが、会計学の2年めが終わった時には、すでに副業でネットビジネスを始めていました。

実は、会計学を勉強し始めて致命的な問題があることに気がつきました。それは、「会計学が面白くない」という事でした苦笑

僕が会計学を始めた理由は、別に会計が好きで始めたわけじゃなく「現実問題として何か資格を取得しないと家族を養えない」という焦りから、「とりあえず自分の性格に合っていそうな会計学やってみようかな?」という軽い気持ちで始めたのです。

結果は残念ながら、その時は全く興味を持てなくて、半ば逃げるようにして副業のネットビジネスに駆け込んだのが事実です。その時に取り組んだのが「アフィリエイト」でした。

日本の大学では法学部を卒業したので、マーケティングのマの字も知らない、アフィリエイトのアの字も聞いたことが無かった僕でも、当時はタイミングが良かったのもあり、1年間でアフィリエイトで月収100万円を達成することができました。本当にあの時は「作業さえこなせれば誰でも稼げた時代」でした。と言えるのも、僕が唯一他の人よりも努力したと言えるのが「作業量」だったからです。

実はそのときに既に子供が2人いたので、養えるようにならないとシャレになりませんでした。会計学も諦めかけていたし、崖っぷちの状態でした。その強烈なプレッシャーのおかげか、夜寝る時間も惜しんで作業をしていたら、あれよあれよと結果が出たというわけです。

ビジネスはそれからも順調に進んでいたのですが、ビジネスを始めると税金を支払う準備を自分でしないといけないのですね。ここで初めて個人事業主として会計士に税金の相談をしたのですが、その時に「税金が結構かかりますよ」という話をされました。会計学をやっていたくせに、と突っ込まれそうなのですが、あまりに生活を立て直すのに必死で、税金の事なんてほとんど考えてなかったのです。

そこで今度は「これは独立しないとやばいな」と思い、結局2010年に会社を設立する事になりました。そして、会社も設立したことですし、その調子でアフィリエイト報酬を右肩上がりに上げたかったのですが、そんなに人生うまく行かないものですね。

あえて僕の能力に順位を付けるとすると、世の中の平均と言われる人よりも下の凡人っていうのが僕の評価なのですが、僕が参入していたアフィリエイト業界にライバルがドンドン入ってきて、「これは負ける。。」って思い始めました。そして、僕自身も今までと同じだけの作業量を続けるのがしんどくなってきたし、さらに悪いことに「あんまりおもしろくないかも」っていう飽きもおそいかかってきて、「この土俵で戦うのはしんどいな。。。」って思い始めました。それと同時に「自分の今までに培ったスキルで何か新しく出来ることはないか?」と思った事をきっかけに、コンサルティングを始めました。

どういうコンサルティングをしたかって言うと、

・アフィリエイトコンサルティング

・集客コンサルティング

ですね。それ以外にも

・オンラインスクール

・セミナー講師

・マニュアル販売

・集客マニュアル販売

・起業マニュアル販売

・アフィリエイトで稼ぐ系のマニュアル販売

とかもコンサルティング商品として提供したりしました。

ともあれ、その後6年間集客コンサルティングをやっていれば良かったのですが、色々な仕事に浮気しちゃいました。例えば、WIFIの専属代理店になったり、物販始めたり、金融ビジネスしたり、新規事業に投資したり、FXや株にも手を出したり、ベンチャー投資をしたりという感じです。ただ結局色々とやってみて、今は自分の「得意」で「好きな」マーケティングを教えたりする「コンサルティング」を軸にビジネスを展開するのが楽しいな、と気づけました。

ちなみに今までに色々な業界に関わっている人のコンサルティングをさせて頂きましたし、今でもしています。例えば、

・英語コーチ

・英会話教室

・美容サロン

・ソフトウェア会社

・不動産会社

・薬局

・心理カウンセラー

・催眠カウンセラー

・プロジェクトマネジメント会社

・美容室

・リフォーム会社

・ファスティングコンサルタント

等です。

一つの業界にこだわっていない理由なんですが、根本的に人と話すのが好きで、自分も人も成長していく過程を見ると楽しいんですね。だから、地元の個人のお店とか働いている人の数が10人から20人くらいの会社へお客さんを集めるコツとかアドバイスしたり、会社の中にある部署とかチームがあって、仲が悪くなっているグループの問題を解決しようとしたり、他にも色々とあるのですが、そういうことに関することへの助言をしていた際に、たまたま日本人の方をサポートしたんですね。

実はその方をサポートしてみて、日本人、もしくは日本語が分かる方で、集客に困っている方に向けてのブログを始めようかな、と思って今に至っているわけです。ブログという形で始めた理由ですが、単純に自分の言いたいことをまとめやすいなって思いました。そして僕のブログを読んで、自分が今まで培ってきたスキルや体験、体系化した法則とかを知ってもらえれば、お客さんを集めるのに悩んでいる人の問題を解決できる可能性がある、のかなと。

あとは、このブログで僕が語る体験や、僕のクライアントが出している結果を聞いて、

「自分がまだ気がついていない自分の中に眠っている可能性」

に気づいてほしいと思っています。

なぜかというと、僕自身が「あなたには可能性はあっても僕だけは特別で、ぼくには可能性なんて無いんだ」と心の底では思っていた人間なんです。子供の頃から「俺なんて何やっても突き抜けた結果でないし、マジだめなやつだな。。。」という感じで自己卑下していた人間なんです。

正直に言えば、今でも周りの人を見ていると「あれだけ賢くなれたらいいよなー」とか、そういう羨ましいな、って気持ちが出てこないことは無いのですが、いい意味で諦めています。

自分に無いものを求めてもしょうがない、だったらまずは自分の持っている力を全部使い果たそうよ、ってある時に思って、自分の思っている事を自分の言葉で全力で書いています。そうやって毎日生き始めてからは、「自分自身にはまだまだ見たことのない可能性が眠っている」と心から思えるようになったし、「同じように他の人にも僕と同じように可能性がある」と思えるようになれました。

この経験を通して、僕と同じように「自分は他の人みたいに能力が無いし、自分は特別で他の人と同じような成功は出来ない」と思っている人が、その人自身で自身の可能性に気づいてもらうお手伝いをしたい、と本気で思ったんです。だからこそ、その「可能性」という言葉を会社の理念に据えました。

理念って言うとなんだかよく分からないかもしれませんが、要するに「イシカワユズルが目指している理想の世界ってのはなんなのか、その理想の世界を作っていく為にいつも気にしていることって何?」みたいな感じです。

ちなみに会社と言っても社員は僕しかいません。後はビジネスパートナーや外注さん、フリーランサーさんでビジネスを動かしています。そういう方たちの助けを借りて、ここまで来る事が出来ました。なので、僕が目指す、行きたい方向に「一緒に行きたいです」と言ってくれた、共感してくれた彼らには本当に感謝しています。

さて、先程から「理念」という言葉が出てきていますが、今の時点での会社の理念を紹介します。

「お客さまが集客の悩みから開放されて、お客さまの本来叶えたい理想の世界を実現してもらう為のサポートを全力で行う会社でいつづける。私達の「可能性」を信じることが、お客さまの「可能性」を信じることに繋がり、しいては地域、国、世界の変革をも出来ると信じる事が出来るようになる、そんな積極的な希望に満ち溢れる会社でい続けます」

というものです。なんかかたくるしいのですが、一応僕が使える言葉を選んで自分の気持ちを出来る限り表現した言葉になっています。

この理念に込められた背景にあるのが、「自分の可能性を信じることが出来なかった昔の僕」です。

そんな僕でも自分自身の価値を感じる事が出来るようになった一番の理由が

「可能性だけは信じていたから」

です。

僕には何の取り柄もありませんでした。少なくとも僕自身はそう思っていたのですが、自分の心の奥深くで「自分はこんなもんじゃない」という「可能性」を信じている自分がいたんですね。もちろんそういう自分に気づいていたわけではありません。ただ、この前提がそもそもなければ、僕は何も行動を起こさなかったはずですから。前に進み続けたのには理由があるわけです。その理由の根本にあるのが、「可能性」だ、と僕は思っています。

ともあれ、社会にも貢献できるというのを僕やクライアントの姿を通して

「石川さんでもできたんだ笑 だったらわたしでも出来るかも?」

ぐらいに思ってもらって、笑われる存在になっていきたいなって思ってます。

実際のところ、こういう「天才型の人」ではなく「日の目を見なかった人」が活躍できたら面白い!と思っているし、そういう世界を創っていくお手伝いをしたい!という想いがあります。